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虚しい人生だという心理に襲われたぼく。3つの解決案

虚しい人生だなとなる心理はどのようなものなのでしょうか?

 

なにかが決定的に足りていないというのではないにもかかわらず、なにかが決定的に足りていないと感じるときってあると思います。

 

「友達」「家族」「仕事」「健康」など人並みかそれ以上のものが自分にはあるにもかかわらず、我ここにあらずみたいな状態になってしまうことです。

 

これまではなんの不自由もなくスイスイと来れたのに、一度立ち止まってしまうととことん分からなくなってしまうのです。

 

自分の存在そのものがグラグラとぐらついてしまって、いつも「不安定な状態」にさらされてしまうのです。

 

終いには、どうにもこうにもならずに何もかも投げ出してしまいたくなってしまうのだと思います。

 

このような虚しいときは、

 

  • 「あれ、そもそも目的って?」
  • 「なぜ、これをしてるんだ?」
  • 「てか誰か繋がってるのか?」

 

などと感じるのではないでしょうか。

 

虚しさは人生の「やる気」を削ぎ落とし、なにもできないようなことになってしまうことがあります。

 

このような空虚感は人間を「抜け殻」のようにしてしまいます。「魂」を抜かれたような状態になるということです。

 

生きているけれど、活きていないともいえると思います。

 

虚しいときというのは「新しい発見」があると同時に、そこでいてもあまりいいこともありません。

 

もちろん、健康にもあまりよくはないと思います。

 

そこで、今回は虚しいときはどのようにすれば解決できるのかをご紹介していきたいと思います。

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虚しい原因3つ

 

  • 「物理的に一人なとき」
  • 「誰かといても一人なとき」
  • 「この世では結局ひとりなとき」

 

物理的に一人なとき

 

人の輪から外れてきたとき一人の「ぽつんとした時間」が流れてくることです。夕方に吹く風のようなものです。

 

たとえば、恋人とわかれて家に帰ってきたときや家族が旅行でどこかへ行ってしまったときなどに表出されます。

 

いつもであれば「そこにいるはずの大切な存在」が自分の中から一時的に切りとられたときです。

 

誰かといても一人なとき

 

誰かといて人の輪にいるのだけれど、誰とも分かり合えないことからくる虚しさです。

 

これは誰かといることが余計に「虚しさ」を大きくすることがあります。

 

同じ空間に「恋人」などのパートナーがいたとしても、です。ふれ合いがないなどは、特にそうでしょう。

 

なぜなら、自分が誰とも繋がっていない「孤独なピース」としてはっきりと分かってしまうからです。

 

この世では結局ひとりなとき

 

実は、人は最初から最後まで虚しい「ひとりぼっちな存在」なのではないかというときのものです。

 

これはこれまでのものよりもスケールが大きく押しつぶされそうになっても仕方ありません。

 

このようなとき虚しさはいつも私たちの同居人であり、運命を共にするのだと感じるのだと思います。

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虚しさに襲われた僕はどうしたのか

 

ぼくは、しばらく部屋の中だけが世界のほとんどすべてでした。

 

もう少し細かくいうと、「近所のコンビニ」と「家の中」だけがすべての時期がありました。

 

天井にある染みを、意味もなく見つめながらダラダラと思考を働かせる毎日だったのでした。沈黙がすべてを包みこんでいたのでした。

 

このときのことを簡単にいうと、ご飯をたべてクソをするだけで、そしてベッドに転がる「単なる肉体」でしかなかったです。

 

すでに前述しましたが、生きてはいるけれど活きてはいないということです。

 

これまで「孤独」と一緒に過ごしてこなかったぼくにとっては突き当たるべき問題だったのかもしれません。

 

 

 

「ぼくは、なんのためにがんばっているんだ?なんのためにがんばってきたのだろうか?目的ってなんだ・・・」

 

「これからどこに向かっていけば行けばいいのだろうか・・・」

 

「もし、このまま失踪してもどこかの調査でたんなる数字としてカウントされるだけの存在なのか?」

 

「最近、心から湧き上がってくるようなふつふつとした熱い充実感のようなもの感じていないな・・・」

 

「数限りのない都市の一室で、こんなことを考えているなんて誰も思わないんだろうな・・・」

 

 

 

唯一の外出先の「コンビニ」でもレジに並んでいる途中などにおいても「ネガティブな思考」を働かせていました。

 

 

 

「さっき部屋で考えていたようなこと雰囲気から滲み出てないかな・・・」

 

「店員に変なヤツだと思われていないかな?」

 

「周りにニートだか引きこもりだか、そういう風に見られていないかな。冷ややかな視線とんできていないかな・・・」

 

「これ誰かに相談できるやつなのかな・・・いや、できないな・・・」

 

「これまでは自分は結構いいポジションにいたと思っていたけど実はそんなことないのかも・・・」

 

 

 

このように活きているという実感が乏しくなったことがありました。

 

部屋の中では、「虚無感」に支配されたつまらない思考を働かせていました。

 

コンビニでは、この思考をだれかに嗅ぎとられたりはしていないかを極度に気にするという毎日だったのでした。

 

このまま、このようなことを続けていると「生ける屍」になってしまうのは明らかでした。

 

そこで、なにかアクションを起こさなくてはと思い立ったのでした。

 

 

 

それが「ランニング」でした。

 

「昔、充実感を覚えたようなことをやっていけば充実感が得られるのではないか」という単純な思考でした。

 

初日だけは「意気込み」があったのですが、それからはシャボン玉がはじけるようにものの見事になくなっていったのでした。

 

どうにか毎日、ランニングに出かけようとするも「三日坊主」という成績で終えることになりました。

 

虚無感に支配された肉体は、鉛のように鈍いという「シロモノ」になりさがっていたのでした。

 

 

 

このような中でも、どうにかこの状態を脱することができないのかと暗中模索していました。

 

すると、1つのことに気がついたのでした。それは、「虚しさを消すのは無理だ」ということでした。

 

 

 

このとき、ほとんど働いていなかったとはいえ、たまにバイトに出かけることがありました。

 

バイトをやっている間は、このような虚しさを自然と忘れることができるということに気づいたのでした。

 

バイトをしてる日は「虚しさ」が消えている時間が多くなりました。もちろん、なくなったわけではありません。

 

ということは、「虚しさ」と同居することができるのではないかということです。

 

 

 

虚しさをどこかで感じてしまうのは仕方がないことです。自分の中から「虚しさ」をすべて追い出すことは無理です。

 

ただ、自分の努力次第でかぎりなく「虚しさ」を減らすことはできるのではないかということです。

 

バイトに該当するようなことを入れていけばいいからです。

 

 

 

ただ、ぼくの虚しさはやはりどこかにまとわりついています。

 

海の底のような「深い闇」はすぐそこにあるままなのです。できることはただただ繰越すことだけです。

 

なにかいい手はないのかと今でも考えをめぐらせています。

虚しいときの対処法3つ

 

  • 「暇をなくす」
  • 「新しいコミュニティに入る」
  • 「テレビ&携帯を使わない」

 

暇をなくす

 

生活の中から、暇をなくすことによって「虚しさ」は影をひそめるようになると思います。

 

基本的に「虚しさ」とは、暇な人のところに寄生するようになっているのです。

 

忙しい人のところへはやってはきません。ですから、寄生されないために何かに取りくんでいるということがとても大切なのです。

 

新しいコミュニティに入る

 

誰かといても虚しいと感じるときがあるというのは前述したと思います。

 

新しい関係をつくるために、新しいコミュニティに入っていくのはいいと思います。

 

同じところでうずうずしているよりも、いいのではないかと思います。

 

テレビ&携帯を使わない

 

デジタル世界にハマることはあまりイイものを生まないと市民団体などが警鐘を鳴らしていたりもします。

 

家に帰ると、まずはテレビのスイッチを入れたりすることが多い人もいるかと思います。

 

また、朝起きてらまずは携帯をチェックするのも同様です。

 

これらが「虚しさ」を発生させることもあるのだと思います。だから、市民団体の声に耳をかたむけるのもいいと思います。

 

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