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自分が嫌いはこうして解決する!3つの方法

自分が嫌いというのは解決をすることができるのでしょうか?

 

どういうきっかけなのかは、人それぞれで明らかではありません。ただ、ひょんなことから自分を嫌いになってしまうことがあります。

 

自分が好きという人もいれば、自分が嫌いな人もいるというのは当たり前といえば当たり前のことです。

 

自分が嫌いなら、

 

  • 「今のままではダメだ」
  • 「ここから抜け出したい」
  • 「どうしてこうなる・・・」

 

などのようなことになってくるのではないでしょうか。

 

自分ではない何かを欲することになるかと思います。外の方に目をむけるようになるということです。

 

ただ一方で、自分とは一生つき合っていかなければならないということも事実です。

 

また、自分を好きであれば「できるようなこと」が、そうでないならずっと「できないこと」のままになってしまうことになります。

 

自分を好きであるということは「自分の能力」と大きく関わっているのです。充実度もあがってくることでしょう。

 

誰かを見て「羨望の眼差し」で見てしまうこともあると思います。

 

つまり、ずっと「自分の殻」から抜けられないようなことになってしまいます。

 

そして、「できない自分」よりも「できる自分」の方がいいに決まっています。

 

そこで、今回はどのようにすれば自分を少しでも好きになることができるのかをご紹介していきたいと思います。

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自分が嫌いになる原因

どのようなことで自分が嫌いになってしまうのでしょうか?

 

実は、とてもシンプルで「そのままの自分」でいられなかったからではないかと思います。

 

たとえば、本当は「野球」をやりたかったのに親の都合で「サッカー」をやらされたりするようなことです。

 

また、まったく興味もなかったような「ピアノ」をやらされたり「塾」に通わされたりするのも同じことです。

 

宿題をしないと「ご飯」を食べさてもらえなかったり「お小遣い」をもらえなかったり制限をつけてきたりするのもそうでしょう。

 

さらに、「よその子」だけを褒めるというのもそうです。

 

これらはすべてあなたにとって「そのままの自分はダメだ」という強力なメッセージなのです。

 

ただ、このようなことをするのは「あなたのため」にやっているのであって、別に「悪意」をもってやっているわけではありません。本人としてはごくごく当たり前のこととして行います。

 

 

そして、それはたいていの場合は「親」や「教師」だったりします。

 

このように、だれかに何かを強制されたり、意思をねじ曲げられたりすることによって「そのままの自分」を禁じられたことが原因なのです。

 

大人なら「は?イヤなんだけど・・・?」で終わるのですが、子供の場合はそれを受けれざるをえません。なぜなら、それが「生存への道」であるということを防衛本能がとっさに嗅ぎとるからです。

 

ほかの人に「そんなの当たり前だよな?」みたいな顔で見られることが自分を形づくってしまいます。やはり「おとな対こども」では勝ち目はないのです。

 

これは自分の心を何者かに鷲掴みにされているようなものだと思います。ある日を境に世界が変わってしまうことも珍しくはないと思います。

 

どうやら文化の中にうまく溶けこめるかどうかはこのようなところで決まってくるのだと思います。

 

うまく地上に降りたつことはできたのだけど、まっすぐ進めるとは限らないということなのでしょう。

 

自分のことは自分で決めるというシンプルなことが意外と重要なのでしょう。特に子どもが育つということに関しては。

 

私も、善意で人に接して入ればいい結果がうまれてくるという「美しい仮説」を信じきっていました。

 

それがきれいにふき飛んだとき、まったく別の世界に放りこまれたのでした。

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自分が嫌いの特徴

自分が嫌いという人にはどのような特徴があらわれるのでしょうか。

 

  • 「自分ですべてを背おう」
  • 「世界に壁をつくっている」
  • 「〜ねばならない、〜であるべき」
  • 「入れているようで、入れていない」

 

自分ですべてを背おう

 

うまくとけ込むことができなければ「ものごとの加減」を知ることができません。

 

だから、基本的にものごとの判断は「アリ」のか「ナシ」なのかです。

 

少しでもおかしなところがあったら「ナシ」になってしまうのです。

 

世界に背をむける

 

自分を大切にすることができなくなると、相手も大切にできなくなってしまいます。

 

しかし、それを堂々を「公」にすることはできません。もちろん、したくもありません。

 

世界に背をむけるようになるのは当たり前といえば当たり前の話です。

 

〜ねばならない、〜であるべき

 

防衛本能がはたらいた結果として、「仮の仮面」をかぶることになります。

 

それが、「〜でなければならない、〜であるべき」というものです。

 

自分をないがしろにしてでさえ、相手の要求をみたすための努力をひと一倍するようになるのです。

 

なぜなら、それを実行することによって認めらたというふうに思えるからです。承認されるようなことは自分にとっての「存在意義」のようなものなのです。

 

入れているようで、入れていない

 

文化の中にとけ込むことができるのかどうかということが挙げられます。

 

同じ空間にいるけれどその中にしっかりと入っていくことができません。

 

そこにいるにはいるけど、しっかりと入れてはいないのです。

 

だれかと「深い関係」をむすぶことができなくなってしまうということでもあります。これはいつも人と「心的な距離」があるということです。

 

これは「帰属」はしているけれど、「関係」がむすばれていないということです。

自分が嫌いなわたし

もともと自分が嫌いなふしはありましたが、その中でも自分が嫌いなエピソードをご紹介したいと思います。

 

きっかけは「謎の病」になったことがあるからです。

 

原因不明の「謎の病」ということは、「人知」を超えたところのことです。

 

これまでのように私には悶々とかかえていたものがあって、さらに人知を超えたようなところから「不合格通知」がきたということです。

 

自分ではコントロールすることができないようなところで、見放されるということです。「運」も「ツキ」もなにもそこにはないということなんだということでしょうか。

 

自分の努力とはまったく関係のないところで「優劣」がつくというのは知っていましたが、皮膚感覚でわかった瞬間でした。

 

医者が「新しい症例」だからなのかやたら興味津々だったのにはイラっとしました。

 

その後、私は1日のほとんどを部屋の「天井の染み」をみつめるだけの日々がしばらく続いたのでありました。

自分が嫌いを治す方法3つ

さて、いよいよ治す方法をご紹介していきたいと思います。

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