プロフィール
【名前】 : まちた♂ : 心理学者のたまご
【年齢】 : 29歳
【職業】 : ほとんど無職
【職歴】 : バイトを少し、ほとんど無職
【コンプレックス】 : ハゲつつある
【月収】: 3万円のときも
【好きな食べ物】 : チロルチョコ
はじめまして!
どんな人物が文章を書いているのか気になる方のために、ここではわたしのことを少し紹介してみたいと思います。
すべての試験に「不合格」になり、学生時代には「派遣現場」をあちこち巡ることからはじまります。
そして、「無職」として社会に放り出されたわたしはどこに行くのでしょうか。
すべての受験において失敗
わたしは、だいたいというか「すべての受験」で失敗しています。それぞれ、少し見ていきましょう。
高校受験 不合格手をふるわせながら「合格通知」を開封するも、思っていたよりも薄っぺらくて不合格。
大学受験 不合格不合格の知らせをお風呂の中で聞かされて、しばらく「放心状態」になる。
大学院受験 不合格不合格、即「無職」が決まり、社会に放り出されることが正式に決定しました。
簿記 不合格試験の中では1番がんばった。用紙をすべて使いきり、ペンのインクもなくなる。しかし、不合格。
「中学受験」なるものはなかったのですが、この感じだと受けていたとしても落ちているんだと思います。
夢が現実化するということはなく、むしろ「イヤな予感」というものが現実化してきたといってもいいと思います。
それでも、わたしは受験などで失敗したとしてもそんなはずじゃない、もっとできるはず・・・
と心のどこかで思っていたのですが、だいたいにおいて願いがかなうことはありませんでした。
このような失敗を「他人」のせいにしたり、「制度」のせいにしたりしようとしたときもありました。
ただ、いつも目の前にあるのは決して色褪せることはない、厳しすぎる現実だけなのでした。
自分が思っていることと、「客観的な事実」というのはいつも乖離がありました。そして、それらに苦しめられました。
どこかで「客観的な事実」を意識しながらも、あまり見ないようにして過ごしていたのでした。
それでも、なんとか入れる学校は見つかり大学までは卒業することができました。
社会人デビュー。コンビニの面接を受けるも・・・
そんなこんなで、「無職」として社会に放り出されました。大学院の受験に「不合格」しているので当たり前です。
社会という荒野において、「自分の将来」を模索するときが必要だと考えました。
ただ、このような私にとって残されている「道」というのはどのようなものになるでしょうか。
そこでも待ち構えていたのも、やはり「厳しい現実」でした。
たとえば、コンビニバイトの面接にいったことがありました。
そこではエリアマネージャーなる方に、「何店舗かあるエリア」をまわってほしいとの要望がありました。
はじめは「ん?」となり、しばらくどういうことかうまく飲み込むことができませんでした。
これまでバイトの面接に何度か行っていたのですが、はじめてのことだったからです。
これはどういうことなのかというと、日によって「出勤する店」が違うということらしいのです。
つまり、エリア内のどこかのお店で働くというのが条件だったのです。エリア内派遣だったのです。
さすがの私も、「変な労働」をするわけにはいきませんから丁重にお断りしました。
変な労働というのも大学の頃に、「派遣」を経験しておりました。
たとえば、東京ビックサイトで「什器搬入」という肉体労働をやっていたことがあったのです。
なかには朝までやった仕事もあります。朝日をあびながら汗まみれの「軍手」を脱ぐ瞬間がいまでは懐かしいです。決まって次の日は「筋肉痛」です。
このとき思ったのですが、「派遣」というスタイルは自分の身体には向いていないということだったのです。
わたしは1ヶ所で働きたかったのです。そんな時に目をつけたのが「ネットで稼げる系」の仕事だったのです。
家でできるなら、もってこいです。
そして、さっそく騙される
お金の稼ぎ方を教えてくれる人はいないのか?と、ネットを徘徊しました。
そこで見つけたある企画に申し込むことにしました。無料で招待、中で販売のようなスタイルでした。
その日の朝、家を出るときはかなりワクワクした状態でした。「これで人生の扉が開く」と心をトキめかせていたのです。
ただ、家路についた頃のわたしの中にはそういったものは全く消えさえってしまっていたのでした。
なぜなら、そこには決して色褪せることはない厳しすぎる現実がよこたわっていたからでした。
ゴリ押し系の方がこれでもかというくらい猛威をふるっていただけだったのです。わたしの印象としては。
「ページ」と「実物」のギャップが半端ではない、ということに尽きました。そして、本当に謎なのですが「説教」をされてしまったのです。
しばらく、家にひきこもりがちになりため息をつきながら「天井の染み」をみつめる日々がつづきました。
挙げ句の果ては、深夜の病院。
ちょうどその頃から、家から出られなくなりたまに病院に通うようになっていました。
というのも、どういうわけか「不安感」に襲われてしまうのでありました。なかには「夜中」に病院へ繰り出すこともありました。
このブログは、このような状況においてとても役にたった「ヒント」になった考えが凝縮されています。
さらに、これからはこの「物語の続き」などが更新されていきます。
長くなりましたが、よろしくお願いします。