やりたいことがない人が、やりたいことを見つける方法3つ!
やりたいことがはっきりとして、それに向かって進んでいる人はかっこよく映ると思います。
また、何かに熱中できることがあるということが幸せにつながってきます。
ただ、自分のやりたいことって何?って話になってくると思います。
このような状況であるなら、
[list style = “star”]
- 「モヤモヤする」
- 「羨ましい」
- 「どうして自分はこうなんだ」
[/list]
などのように感じるのではないでしょうか。
これは、なんとかしたくてもどうしたらいいのか分からないようなテーマであります。
どこをどう探しても出てこないと思われるかもしれませんが、私は出てくると思っています。
また、頭ではそう思っていたとしても身体がついてこないときなどもあると思います。
そこで、今回はやりたいことを絞り出してくる方法論についてご紹介していきたいと思います。
基本的に漠然としたものから、何かを絞り出してくるというのは長期間のことですからたまにチェックしていただければなと思います。
やりたいことがわからない私
実は、私もやりたいことがわからなかった一人でもあります。
私は大学生の3年くらいになったときにはじめて「自分のやりたいことを何だろうか?」と悩みはじめました。
周りの動きもさわがしくなってきていて、焦る思いばかりが募っていきました。
なにをどうやっていいのか分からない日々が続いて、どんどん自分がダメになっていくのではないかと「不安」が大きくなっていきました。
今までは、このような「問い」をつくって自分なりの答えをつくっていくということをしたことがありませんでした。
漠然としたものをみつめて、絞り出してくるような作業のことです。
もちろん、早い段階から「自分はこれでいこう」というものもありませんでした。
ただただ、日常生活の中だけに埋もれてしまっていたといってもいいと思います。
ずっと「公」の自分を演じてきたわけですが、このときから「個」としての自分をとても意識するようになりました。
「公」の自分を演じていたときは、人によく思われたいとかが大きな割合を占めていました。というか、そればかりだったような気がします。
自分がこうなりたいという「自分の像」を考えるのではなく、ただ人の頭の中に映る「自分の像」ばかりを優先していたと思います。
人の望むような自分を演じていたといってもいいと思います。それに他人に認められている間は、それなりに充実しますし、安心もできます。
ただ、結局のところ、本当にやりたいことというのはとても個人的なものだと思うようになりました。周りの人を見ても、自分のこれまでの経験を見ても。
なぜかというと、相手の空気を読んだりしている状況はその空気によって自分が支配されているように思えて、やりたいことなどは見つからないと思ったからです。
もちろん、やりたいことをやれる環境でもないのではないかとも思うようになりました。身動きがカッチリと「固定」されたように感じていました。
だから、このように「こうではないよな」みたいなものを排除していくことにしたのです。
これというのはわからないけれど、少なくともこうではないよなというものを避けはじめたのです。
人によっては「逃げ」と言われるようなことかもしれませんが、それが正しいのではないかと思ったのです。
このまま順調にいけばやりたいことだけが身のまわりに残ってハッピーになれると思っていたときでした。
ある1台の車が「前方不注意」で私のところへ突っ込んできたのは。
朝、自転車に乗って書店にいくときに車が突然つっこんできたのでした。
幸いなことに、強打だけですみましたが「冷や汗」がずっと出ていました。病院に運ばれていろんなところを調べて終わるまで出ていたよう気がします。
これまで説明してきたとおり「自分の価値観」がぐらついているときだったので、この出来事は衝撃的でした。
「あ、割と近くに終わりはあるのか」ということが直感的に分かったのです。しかもこちらの責任はほとんどゼロにもかかわらず、です。
このときの分かるというのは、これまでとは少し違う意味の「分かる」でした。
たとえば、出来事の年表を覚えて分かったような気になることがありますが、まったく違う種類の分かるという体験でした。
見てしまったよ・・・みたいな。
この出来事が私にやりたいことを絶対にやろうと思わせ、そしてやりたいことを絞り出してくるということを加速させたということは書いておかなければなりません。
このようなことがモチベーションとなってこの記事を書こうと思いたったわけです。
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やりたいことを見つける方法3つ
[list style = “star”]
- 「日常に埋もれない」
- 「イヤなことをせずに済ませる方法を考えよう」
- 「終わりは近くにある」
[/list]
[box style = “tip”]日常に埋もれない[/box]
日常に埋もれてしまっている状態というのは自分を見失っているともいえます。
日常に飲み込まれないようにすることが大切です。いくら日常が忙しくてもです。
具体的にどうするのかというと「1人の時間」をしっかりととるということです。
一人で「読書」をしたり「散歩」にいったりしてみるといいと思います。
たまに、何かを書くということもいいと思います。なぜかというと思考が整理されるからです。
人は何をやれば喜んでくれるのかなど、思いをめぐらせてみましょう。
[box style = “tip”]イヤなことをせずに済ませる方法を考えよう[/box]
イヤなことをするというのは、できる限りにおいて排除しておきたいところです。
何かイヤなことがあれば避けることができるようになるべきでしょう。
それをやることによって活き活きするというのではなく、徐々にしおれてしまいます。
イヤなことを排除していくというだけで、環境はどんどんと整っていくのです。
[box style = “tip”]終わりは近くにある[/box]
私がある日、突然交通事故にあったように「終わり」というものは必ずどこかのタイミングできてしまいます。
これまではそういうことは見たくなかったので見ないようにしてきましたし、考えたくもありませんでした。
ただ、そういうことは意外と自分の近くにあるということを知ってしまいました。
スティーブジョブスがスタンフォード大学の卒業式でスピーチではこのことについて言及されています。
「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」ということを毎日鏡に向かって自問自答していたそうです。
私はこのスピーチを事故にあう前にも聞いたことがありましたが、事故にあってからはその意味に「重さ」が増しました。
もし今日で終わりだとしたら、これからやることは本当に正しいのだろうか?ということをあなたにもやってほしいと思います。
今やっていることに「違和感」を感じてきたならうまくいっている証拠です。