愛されたいあなたは『損』してる?でも3分で愛される。
愛されたいというのはどのようなことなのでしょうか?
愛されたいなど、誰かに必要とされたいというのは人間としてごくごく自然なことです。
ただ、この世には『愛がある人』もいれば『愛がない人』もいます。
なかには、本当ならば手に入れられるはずだった愛をとり損ねている人もいることでしょう。
これは一生涯のものを『損』しているといってもいいかもしれません。
あなたが愛されたいと思うのなら、
[list style = “star”]
- 「いつも悶々とする」
- 「満たされてないな」
- 「他人が羨ましくなる」
[/list]
などのように感じるのではないでしょうか。
仮に、パートナーがいたとしてもいなかったとしてもここからはなかなか逃れることはできないでしょう。
なぜなら、愛されたいというのは生きがいのようなものであり、『生きているという実感』を与えてくれるからです。
なぜ、わたしがこれに関心を持ったのかというと、『愛の不足』に悩んだことがあったからです。
人生のすべてにおいて『潤いを欠いたような状態』になっていて、これほど惨めなことはないというところに端を発したのでした。
下手したらサビついてきているのかもしれないと思ったほどでした。
人生において『愛』があるのか、ないのかどうかはあまりに『大きな差』と言わなくてはなりません。
根源的なところから発せられるものであり、一生涯つづくこともあるからです。
ここには決定的な差があるために、あなたにとっても『一考の価値』があるということです。
そこで今回は愛についてご紹介していきたいと思います。
愛ってなんだ?
わたしは自分の身のまわりに「愛」は存在するのかなど思いつめたことがあります。
というのも、たまたま『愛のある人』と知り合うことがあり、自分にあぁいったものはないよな・・・と思ったことが始まりでした。
あの人のところはあまりに眩しく見えて、自分のところはいつも『日陰』になっているように思えました。
あまりに心は寒くなってしまい、ガタガタとかじかんでいるようでした。
愛をめぐる危機感によってわたしは襲われてしまったのでした。
なぜなら、愛のある人の前では自分が『愛のない領域』にたっているということは明確だったからです。
自分の『ダメさ加減』が他のピースによって浮き彫りにされてしまったのです。
そして、直感的にもここには『決定的な差』があるということを認めざるをえなかったのです。
「わたしの日常に愛のような艶やかな関係があるのか?」
「いや、正直いってないよな・・・」
「どうやるといいとかも正直いってわからないよな・・・」
「このままでいいのかというとそういうわけではないよな・・・」
マンションの屋上で夜風にふかれながら、このような疑問とやり合う日々がはじまったのでした。
考えは行きづまってしまって、思考という迷宮から出てくることはできませんでした。
このようなときに限っていつもより風が吹きついて冷たさが身体にしみるように感じました。
このようにしてわたしの「愛」をめぐる旅ははじまったのでした。
どのような人のところに愛が舞い降りてくるのかをしばらく考えていたことがあります。
「交友関係がきちんと積み上がっている人・・・?」
「思いやりがある人か・・・?」
「育ちなのか・・・?」
「憎しみや嫉妬がない人・・・かな?」
どれも質問に答えらえているようで答えられておらず、どこにも愛は舞いおりてこないような気がしました。
ただ、みんなのところへ平等に舞い降りていくとは思いませんでした。世の中は不平等だから。
ぱっぱと手に入るのかというとそうではなく、もっと遠くにあるものだと思っていたのです。
こんな考えをめぐらせているとき、わたしは決まって自分はどこかおかしい人間なのかもしれないという予感がありました。
当たるときもあれば、当たらないときもあります。
あるとき、カフェに出かけていったら興味深い会話をきくことができました。
たまたま隣に座った女子たちの話が聞こえたきたことがありました。
内容は彼氏ができるか、結婚はどうするのかがほとんどでした。
「あの子には大学時代に彼氏が〇〇人いたらしいよぉ〜」
「昔は今ぐらいの年齢で結婚すると思ってた〜」
なるほど、みんな「愛」を求めているようでした。
愛はどのような人のところに舞い降りてくるのかを知りたいと思い、書店に足をはこんだこともありました。
そこには圧倒的な知の叡智がころがっていたのでした。
愛をテーマにした作品がいやというほど敷き詰められていたのでした。
その中でも私の目をひいたのは『心理学者のエーリッヒフロム』の本でした。
書名は『愛するということ』です。
なぜ、この本に惹かれたのかというと愛は技術でどうにかなると書かれたいたからでした。
愛を舞い降りさせるための『理論』とそれを『実践』するためのノウハウといってもいいと思います。
言外の言葉として、『これはあなたのための本だよ』って隣でささやかされたような気分がしました。
愛は『運の問題』なんかではなく、『知識と努力の問題』であるというイントロがあまりに衝撃的だったからです。
この文言がわたしの中にはいり込んでくるのに、何ひとつとして障害となるものはありませんでした。
フロムいわく、『4つの要因』によって愛を修練することができると言っています。
わたしにとってはこれは『部活の練習』のようなものに感じられました。
筋トレでマッチョになることができるように、この4つをすれば愛がひらひらと舞い降りてくるのではないかと自然と思うことができました。
また、今の社会において人を愛することができる人は『例外的な存在』であるという言葉はわたしにモチベーションを与えたのでした。
例外的な存在とは『特別な存在』であり、特別でありたいという強い欲求を叶えてくれるように思えたのです。
いわば、『特別の存在』への格上げといえるでしょうか。
毎日、朝ランニングをしていたようににトレーニングとしてこの4つを始める日々が始めました。
ただ、今のところ正直いってこの方法論がどれだけ自分にあっているのかがまったくわかりません。
わたしはこれまでも何度かこの手の『自己啓発的なトライ』をしたことがあります。
無に帰することが多かったわけですが。
期待もあるのですが、しゃぼん玉のように消えてなくなってしまうかもしれません。
ただ、いずれにしてもこれからのわたしのテーマではあり続けるのだと思います。
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愛されたい人がするべき4つのこと
[list style = “star”]
- 「規律」
- 「集中」
- 「忍耐」
- 「最高の関心」
[/list]
[box style = “tip”]「規律」[/box]
規律があるように思えても、実際は仕事のときはやめたいと思っています。
イヤな仕事ばかりに追われているのです。
他人が自分に課した規律はあるけれど、自分が自分に課した規律はないということです。
[box style = “tip”]「集中」[/box]
現代人には集中力が欠如しているといっています。
たとえば、暇なときはスマホをいじったりテレビをみたりして忙しくなろうとしているのです。
恋人といるときでさえ、お互いにスマホをいじっていたりします。
集中が散漫になってしまっているということです。
[box style = “tip”]「忍耐」[/box]
手っ取り早く結果を求める人には技術はなかなか身につかないということなのでしょう。
ある程度の忍耐があって、はじめて芽生えてくるものがあるというのはわかる人はわかるはずです。
[box style = “tip”]「最高の関心」[/box]
これは当たり前すぎますが、愛というものに最大の関心がなければ何も始まりません。
二次的なものではいけないということなのです。
趣味程度のものはやはりその程度のものなのです。
[blogcard url = “https://mental-effect.com/self-esteem-1170”]