勝ち組と負け組はくだらないが、一見の価値あり

心理

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勝ち組と負け組はくだらないものでしょうか?どうして「勝ち組」や「負け組」などと私たちにレッテルを貼りたがるのでしょうか?

 

「格差社会」といわれてはじめて久しいですが、それと同じくして流行りはじめた言葉があります。

 

それが、「勝ち組」と「負け組」です。

 

そもそも普通に生きていくのに、わざわざ「勝ち組」や「負け組」に分類される意味があるのでしょうか?

 

ましてや「負け組」に分類されて誰もいい気持ちはしません。

 

他の人に「おまえは勝ち組」で「おまえは負け組」と言われる筋合いは、実はどこにもありません

 

本来は、自分の適正にあった仕事をしてその報酬を受けとり楽しく生活をするだけだからです

 

そこに「勝ち」も「負け」もないのです。

 

では、どうして「勝ち組」「負け組」などの言葉が流行っているのでしょうか。

 

そこで、どうして「勝ち組」や「負け組」などの価値基準を流行らせる必要があったのかをご紹介していきましょう。

 

不満がモチベーションになる

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マーケティングは人を「不満」にさせるところからはじまります。

 

「この商品を持っていないあなたは、かなり損をしている」という心理状態にさせるということです

 

マーケティングにより、私たちは実際の価値とは異なるイメージを持つことがあります。

 

あなたも、買ってみたはいいものの思ったのと違うと思ったことはあると思います。

 

よくよく考えると、どうしてこの商品を買ったのかすら覚えていないようなシロモノも家の中に転がっているはずです

 

ちなみに、私の家もこの手のものがあふれ返っていたことがあり「断捨離」をしたことがあります。笑

 

本来、生活の中で使うもの以外は必要のないものです。

 

「断捨離」が流行っているのは、実は必要のないものが身の回りにあふれ返っている人がたくさんいる証拠でもあります

 

たくさんの人が必要のないものまで、「ほしい」と思わされているのです。

 

そして、断捨離をさせるくらい私たちにモノを買わせるテクニックがマーケティングなのです。

 

その第一弾が「不満」にさせることなのです。

 

このメカニズムで毎シーズン私たちに買い換えをさせるようにしているのです。

 

断捨離で処分されるような無駄なものを含めて。

 

人に不満をひき起させることは、人を特定の方向へ導く強力なモチベーションになりうるのです

 

個人へ責任が移る

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実は、同じメカニズムが「勝ち組」と「負け組」の背後では働いています

 

「勝ち組」と「負け組」という価値基準を受け入れたなら、「負け組」といわれた人は当然のように「不満」になります。

 

この「不満」がどこへ向かうのかといえば「お金」を稼ごうというモチベーションになります

 

しかし、このモチベーションがいい結果に結びつき、「勝ち組」になれる人はほとんどいません。

 

いたとしても、ごくごく少数なのです。

 

そして、一般大多数の「負け組」と言われた人はその現状を自分の責任のように思うようになっていくのです

 

つまり、個人の「自己責任」だと思うように仕向けられているのです。

 

本来は、あらゆる制度は平均的な人に合わせるのが通常です。

 

なぜなら、平均的な人が人口の最大ボリュームゾーンであり、より多くの人のセーフティネットになりうるからです

 

しかし、必ずしもそうなることはない場合があるということです。

 

このプロセスで個人がむき出しになり、副作用としてどのようにバランスをとっていいのかが分からないという人が増えてきています。

 

はじめて経験することなのでそれはそれで当然のことのように思います。

 

教えられてきたことと現実にギャップができるからです。

 

このことは「居場所がない理由から分かる、忍びよる悪魔のささやき」に詳しく書きましたので、参考にしてみてください。

 

そして行き着く先が、平均的な人のものがなくなり、状況が厳しくなっていくことは「自己責任」で制度設計の責任ではないというところです。

 

個人の「自己責任」というわけです。それで個人が成長できるのかもしれませんが疑わしいです。

 

結局のところ、最後に残るのは個々人の中の「モヤモヤ感」だけなのです。

 

ただ、この傾向は今後ますます強まっていくことでしょう。

 

たとえば最近では、「正社員は既得権益」だと言われ始めています。

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