自分のエゴが邪魔してしまい、自分自身の首をしめてしまうことってあると思います。
私たちはプライドを持っていることによって物事をうまく進められなかったりします。
「恥ずかしい思いはしたくない」「負けたくない」「相手より優位に立ちたい」などを思っていることによって新しいチャレンジを自分自身でできなくしているのです。
これらを持っていることによって自分自身を実際よりも大きく見せようとするわけです。
つまり、虚栄心なのです。そして、自分自身を見失っていき泥沼にはまり込んでいくのです。
しかし、本来のプライドは「自分のことをすごい」を思えることによって、すごい結果が自分にかえってくるはずです。
例えば、プロの世界で活躍している人などは間違いなく自分のことをすごいと思っていますし、自信がみなぎっているのが分かります。
プロの経営者、プロのスポーツ選手などを見ているかぎり、もやしのような人はまず見あたりません。
では、プロの人と、泥沼にはまり込む人の差はどこにあるでしょうか?
そこで、本当のプライドの意味を理解していただくために、プライドを捨てる3つの方法をご紹介していきましょう。
これを正すことによって自分に自信がみなぎり、いい結果が自分に返ってくることは人生をよりクオリティの高いものにしてくれるでしょう。
自分を疑えること
プライドをもつことで凝り固まっている人は、他人の意見を聞く耳をもっていません。
他人を見くびっているからです。
相手の意見が正しければ、自分が相手より勝っているというプライドが根底から覆されるのです。
凝り固まった人が、その可能性を認めることはできません。
そこに、一抹の不安や恐怖をいただいているのでしょう。
ただ、現実問題として自分が間違っていることは、よくあることです。
反対に、他人が間違っていることもあります。
まずは、「自分自身の意見が間違っているのかも?」「相手の言っていることは実はとても正しいのではないのか?」と聞く耳をもつことからはじめていきましょう。
人と比べないこと
まず、他人と比べて自分の方が勝っているということは、やめましょうということです。
プライドはあくまで自分自身の能力が高いと、自分自身で思うことです。
ただそこに、どういうわけか他人が入ってくるのです。
競争を前提に社会が成り立っているので、そう思ってしまう傾向が強いのかもしれません。
しかし、他人と自分を比べることに何の意味もないのです。
「アイツよりもオレの方が勝っているから、アイツの意見は聞かない」 などの心理になり、自分自身の可能性を自分で狭めることにつながりかねません。
プライドはあくまで自分のことを自分自身がどのように評価しているということで、他人はまったく関係ありません。
プロの選手は常に、自分は高みに達することができるのだというメンタリティなのでしょう。そこに他人は出てきません。
条件に裏づけされたものではない
最後に、ある条件に裏づけされることにより、プライドとしている人がたくさんいることでしょう。
例えば、待遇がいい会社に入ることで自分自身にプライドを持とうとすることです。
一昔前までは、「三高」といわれる条件を持ち合わせている人がチヤホヤされていました。
「三高」とは、「高収入」「高学歴」「高身長」のことです。
このように他人が決めた条件を満たすことで、自分にプライドを持つのは間違ったプライドです。
外部の条件を満たすのではなく、自分が自分の中身を評価するのがプライドだからです。
社会が情勢がかわりつつある昨今では、条件がコロっと変わることは日常茶飯事でしょう。
その度に、一抹の不安を抱くことでしょう。
それは、自尊心を傷つけることにつながります。
自尊心については、「自尊心が低い人の原因と特徴、自尊心を高める3つの方法」を参考にしてください。
プライドの理解がぐっと深まることでしょう。