どうしてあの人はいつもこうなんだろうか・・・ということはないでしょうか?
近年「母という病」という本がベストスラーとなっています。
親子関係で悩んでいる人が増えているということをあらわしています。
あなたも、
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- 「想像するだけでイヤ」
- 「顔を見たくない」
- 「同じ空間にいたくない」
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などと感じたことはないでしょうか。
ただ一方で「生みの親」であり、どこかで分かり合えたらいいなと感じているのではないでしょうか。
「血縁」というものはそういうものだからです。切りたくても簡単には切れない関係ということです。
だからこそ「ずっと問題を抱えたまま、重たくなってしまっていくばかり」と言うことができます。
また、母親との関係は周りの人に「相談しにくいトピック」です。
なぜなら「家族とは仲良くするべきである」という「強い思い込み」があるため、自分がどこか変なのかと感じるからです。
それでも、客観的にみてその家族関係は「害」でしかないよねというものもあるのは確かなことです。
その結果として、「自分が悪いのではないか?」と勘違いしてしまうのです。
そこで、今回は「母親が嫌いになるプロセス」と「今後どのように付き合っていくべきなのか」をご紹介していきましょう。
母親を嫌いになるプロセス2つ
どのようなプロセスを経てそうなるのかは以下の2つです。
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- 肉体的な虐待
- 精神的な虐待
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[box style = “tip”]肉体的な虐待[/box]
肉体的な虐待とは、「暴力」「ヒステリー」などのような恐怖によって萎縮してしまうようなことです。
しかも、理由もなく怒鳴られたりモノをなげられたりすると、萎縮してしまうのです。
凝りかたまった価値観であるならなおさらで、どこにあるのか分からない逆鱗に触れてしまうことになるのです。
このようなことがストレスとなり、自分のことを自分で傷つけることによって「心の平穏」を保とうとすることもあります。
[box style = “tip”]精神的な虐待[/box]
虐待というと肉体的なものだけと思われるかもしれませんが、そうではありません。
だからこそ、盲点になってしまっていることがあります。
フランスの精神科医のマリー=フランス・イルゴイエンヌによると、「社会は肉体的な暴力に関しては厳しいが、精神的な暴力には無頓着である」と言っています。
また「精神的な暴力の方がときには深く人を傷つける犯罪的なものである」とも言っています。
ナチュラルな人格を否定されるため「精神的な死」ということもできます。
さも当然かのように「母親の価値観」でぬり固められます。
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- 「聞く耳を持たない」
- 「〜やりなさい!」
- 「〜しちゃダメ!」
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などのことによって、「自分の人格」を認めてもらえることができません。「あなたはどうせ〇〇なんだから」とか言われると正直キツいでしょう。
私も決めつけられるのがとてもイヤです。何を知ったかぶりで言っているのかさっぱり理解できません。的はずれにもほどがあると思うのです。
自分のことを考えてくれているようで、自分のことは実は見てくれてはいないのです。頭の中にある「こういう子であってほしい」というものを大切にしているだけなのです。
できるだけ相手にしないように無視しておいても耳に届いてしまうのでイライラします。だから、家では黙っておいてほしいと思うくらいです。休む場所なのですからね。
所詮は子供の話だととらえ、子供の考えを軽く見ているのです。ひとつの人格を尊重するという態度ではないのです。
聞く耳をもたずに、話を聞いてくれないとなると対話が不能です。ある種の「裏切り行為」なのです。
母親は、自分のやっていることが正しいと強く思い込んでいるのです。自信満々に言われると「ニュートラルな方」からすると押されてしまいます。
常に相手のための自分という「理不尽な構図」が成り立ってしまいます。
もちろん、「善意」でやっているつもりなのでしょうが、善意だからといってすべてが「いい結果」になるとは限らないのです。
本気で主張しようとしても、聞いてすらもらえないなら「自分に対して無力感」を感じることでしょう。
さらには、大きくなっているにもかかわらず「いつまでも子ども扱い」をすることも子どもの成長を認められていないと言えます。
「〜やりなさい」「〜しちゃダメ!」などと制限をかけられ、自分のことには「フタ」をし続けてしまうようになります。
「そのままの自分」というものがなくなってしまうわけです。そして、「自分が悪い」と思い込んでしまうのです。
まるで、「ベルトコンベアー」にのせられたように自分が望んでいなかったところへ連れていかれるのです。
他にも、他の兄弟と比べられ優劣をつけられることも自分を認められていないことになります。
Column
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「母親が嫌いという感情」は大人になるにつれて大きくなっていきます。
なぜなら、大人になるにつれ様々な経験をするようになるからです。要は、「ものを知る」ようになるのです。
このプロセスで「実は母親はとんでもないヤツなんじゃないか?」という疑念が生まれます。母のようにはなりたくないという強い欲求も生まれてくることもあると思います。
「ものを知る」につれ、「フタ」が開かれていくわけです。そして、なかなか「疑念」が消えることはありません。
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母親との付き合い方は?
人は、嫌いなものを無理やり好きになることは不可能です。
好きなものを無理やり嫌いになることもできません。
ただ、うまく付き合うことはできます。
必ず「折り合い」が見つかるということです。
これからが、これまでを決める
「これからが、これまでを決める」という美しい言葉があります。
これからのことを決めて進んでいれば、これまでのことというのは変わっていくという意味です。
また、人間はひとつの物事にとり組み始めるとそれ以外が見えなくなる習性があります。
つまり、これからのことを決めるだけで「母親が嫌い」だという問題を忘れることができるのです。
もちろん、この期間は距離を置いておくということになるでしょう。
問題は影をひそめ、平穏に暮らせるようになります。
そして、ある程度時間がたったときに「母親が嫌いだという問題」に向き合ったときには別の光景が見えるということです。
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- 「母親を半面教師とする」
- 「自分が親になったときに初めて理解できる」
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などのように思えるようになるということです。
母親を「半面教師」とするなら、同じような思いを子どもにさせないという意味で「良い事」に思えるはずです。
また、自分が親になったときに初めて母親のことを理解できるようになったなら「置かれた環境で精一杯のことをしてくれたんだ」と思えるでしょう。
いずれにせよ、これからのことを決めることが一番大切なことなのです。
いつまでも、母親が嫌いだという意識にとらわれ続けることが一番ダメなことなのです。人を信用できないということにもなります。
外へふみ出して忘れるということがとても大切なことなのです。
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自分が制限されることについては「自尊心が低い人の原因と特徴、自尊心を高める3つの方法」で詳しくつづっっています。
嫌われる人については「嫌われる人の特徴3つ!あなたの心理も診断してみて?」で詳しくつづっています。
人を信用できないことについては「人を信用できない心理!人を信じるための2つの方法!」で詳しくつづっています。