不平不満や愚痴の多い人の、不満の心理とはどのようなものなのでしょうか?
私たちの身のまわりには、さまざまなメンタリティの人がいると思います。
その中でも、1番やっかいなのが「不平不満ばかり言う人」なのではないでしょうか?
不平不満ばかりと言う人がちかくにいるのなら、
[list style = “star”]
- 「めんどくさい」
- 「鬱陶しい」
- 「イライラする」
[/list]
などのように感じるのではないでしょうか。
「不平不満ばかり言う人」は何をしても満足することはありません。たとえ、いい結果が出たとしても満足できないのです。
また、周りにいる人がその巻き添えをくらうことも多々あります。
「不平不満ばかり言う人」の近くでいると自分のメンタリティも落ちていってしまいます。
まるで、「自分の足を食らうタコ」のようなものです。あなたも心当たりがあるのではないでしょうか?
ただ、「不平不満ばかり言う人」のメンタリティは生まれたときからそうだったわけではありません。
育った環境に要因があるのです。
「人間は環境の生き物」なのです。
そこで、どのような要因が「不平不満ばかり言う人」のメンタリティをつくったのかを紐解いていきましょう。
また、最近の心理学の研究結果で「思いやりがなくなるメカニズム」がわかってきたので合わせてご紹介しましょう。
本当に満足することを見つけられるようになると同時に、他人への理解がぐっと深まることでしょう。
不平不満は自分で選択しなかったことで生じる
「不平不満ばかり言う人」のメンタリティの原因はどこにあるのでしょうか?
実は、これに対しては明確な答えがあります。
それは、「将来のことのような重要な選択を自分でしなかった」ことが原因なのです。
「どこかで覚えたきた、こうあるべきだというものを拠り所として選択している」ということです。
自分の本音にフタをしている状態ということです。
本当は「自分の中」に答えがあるのにもかかわらず、「外の世界」に答えを見出しているのです。
自分の内から「ふつふつ」とわき上がってくるものではなく、他のものに選ばされているといってもよいでしょう。
そして、1度「外の基準」でものを選びはじめるとなかなか「自分の内側」を顧みることができなくなります。
そして、ただただ時間だけが過ぎ去っていくことになります。
「あの頃の感覚はどこへ行ったのかしら?」となるのではないでしょうか。
人間は自分のやりたいことをやらないと決して満足できないようになっているのです。
自分で選択しているという確信がない限り、この「モヤモヤ感」は一生涯つづくことになります。なにか違うな・・・と。
反対に、自分の選択をしている人は「風通し」がよいでしょう。
また、いまの日本の社会は「成熟社会」と言われています。
つまり、生きていくだけなら楽勝なのが日本というところなのです。ただ、空気をすって生きているだけでは人間は満足できません。
どのように生きるのか?を真剣に考える必要があるということなのではないでしょうか。
ぼやぼやしていると「肉のかたまり」に成り下がってしまいます。
「自分で選択しているという確信」のみが満足をもたらしてくれるのだと思います。現在、転機が訪れようとしているのかもしれません。
自分で選択することの重要性
善意は必ずしも、善なる結果をもたらさない
さきほどの「どこかで覚えたきた、こうあるべきだというものを拠り所として選択している」というのは、実は親や友人・先生などの身のまわりの人からもたらされるのです。
子どものときは親の言うことは絶対ですから、なんでもかんでも受け入れてしまうのです。
また、小さいときの「友人関係」は仲間はずれにされないために、本当はそうではないということを受け入れてしまうこともあるかと思います。
なぜなら、学校のコミュニティのみが世界だからです。そこから追放されることは「死」を意味します。
人間は「群れ」の中で生きるのか、「一匹狼」のように生きるのかの板挟み状態の中にいるといってもいいです。
大人になれば自然とコミュニティは変わっていくことを経験的に知っていますが、子どもはそうはいきません。
「そのままの自分でいることを否定されてしまう」ことが普通にあります。
そして自尊心が低くなり続けて、不平不満だらけの人になっていくのです。
自尊心を高めるためには、「自尊心が低い人の原因と特徴、自尊心を高める3つの方法」を参考にしてみてください。
重要なのは、「親や友人、先生は悪意をもっているのではなく、善意で助言してくれている」のです。
ただ、「善意の助言」が必ずしも「善なる結果」をもたらすわけではないということです。
最後の最後まで重要なテーマだ
「自分で選択をするべきだ」ということは誰しもどこかでは感じていると思います。
書店では「人生で後悔する10のこと」みたいな類の本が並べられています。
その中では「他人に望まれるように」ではなく、「自分らしく生きれば良かった」という後悔が必ずといっていいほどランクインしています。
これは、自分で選択するべきだとはどこかで感じているのに、最後の最後まで変えることができなかったことを表しています。
本音が「建前」に覆いつくされてしまっていることにあまり気をくばっていないのです。というか、本当に気づいていないのかもしれません。
自分の人生を生きようなどと言葉で分かっていたとしても、いざ実行できるのかはまったく「別の問題」だということなのです。
「いつか変わらなくては」と思っていても最後の最後までできないことが往々にしてあるということです。
「自分で選択」することは人生の最後の最後まで重要なテーマなのです。
最後に
余談になりますが、世の中の価値基準を受け入れすぎた不平不満ばかりの人は「思いやり」がなくなってくるという心理学の研究が明らかになりました。
思いやりがなくなる心理的メカニズムについては「思いやりのない人の心理!彼氏や夫などは危険?あなたは大丈夫?」を参考にしてみてください。
自分の身の振り方はずっと自分自身で問うことが必用になってくることでしょう。