嫌われる勇気のまとめはどのようなものになるでしょうか?
嫌われる勇気という「アドラー心理学」をベースにした本が、かなり売れています。135万部を超える「ミリオンセラー」というのですから、ハンパではありません。
あなたも書店などで1度くらいは見かけたことがあるのではないでしょうか?あなたも「嫌われる勇気」が欲しいのかもしれません。
嫌われる勇気に興味をもっているなら
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- 「風通しをよくしたい」
- 「神経を使いたくない」
- 「ここから抜け出したい」
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などのように思っているのではないでしょうか。
どこかで「嫌われる勇気」をもった人を羨望のまなざしで見つめているのかもしれません。どこかしらで共感しているからでしょう。
これからの時代を、よりよく生きていくためには「嫌われる勇気」というのものがポイントになるのは間違いのないことでしょう。
これを持っているのか持っていないのかで「人生の質」に大きな差が出てくるということです。
そこで、今回はあなたが「嫌われる勇気」を持つにはどのようにすればよいのかをご紹介していきたいと思います。
なぜ、「嫌われる勇気」を持つことがいいの?
嫌われる勇気がなければ、まず間違いなく「自分らしく」生きていくことが難しくなっていきます。
なぜなら、他人からどう思われているのかどうかばかりが何よりも先行してしまうからです。
頭の中が「他人のご機嫌」ばかりでいっぱいであるなら、他人につき従っていくだけのものとなります。
簡単な話は「他人の期待」にこたえようとするあまり、自分を「ないがしろ」にしてしまうということです。
「そもそもどうして私はこんなことをしているのだろうか?」と素朴な疑問に悩まされるようになるのではないでしょうか。
だからといって、明日から「嫌われる勇気」を持っていきようとしてもそうは問屋がおろさないわけです。
なぜなら、自分たちでお互がお互を縛りあっているからです。「監視」しあっているといってもいいでしょう。
あなたは誰かに縛られているし、あなたも誰かを縛っているのではないでしょうか。人からは「同じであるとこと」を要求されますし、人には「同じであること」を要求するのです。
少しでもおかしなことをすると何か言われたりしてそれが「恐怖心」を刺激するわけです。
おかしなことをして「村八分」などにされて、本気で嫌われたりするとヤバいということを無意識で感じているからだと思います。果たして、そんな「耐性」があるのだろうかと。
実際に、何かを言われたりしなくても「何か言われるかも?」と少しでも頭によぎるなら同じことです。両方とも「ストッパー」になるからです。
そうなってくると恐怖が「さらなる恐怖」を呼ぶようになり、ガチガチに固定されていき身動きがとれなくなってしまうのです。
これが「没個性のメカニズム」です。また、「芋づる式」で働くためあなたのところにもきっときていることでしょう。
本質的には満足できるような環境ではなく「ジリ貧な状況」といえそうです。または、あまりに「理不尽な状況」と言ってもいいでしょう。
ずっと「モヤモヤした状態」で我慢することばかりが求められ、霧が晴れることはないでしょう。心理的には、毎日「くもり」のところに住んでいるようなものです。
嫌われる勇気をもつということはそういった環境から外にふみ出すということなのです。
「嫌われる勇気」を持つとどうなるの!?
では、「嫌われる勇気」を手に入れることができるとどのようになるのでしょうか?
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- 「自分らしくいられる」
- 「ストレスフリー」
- 「やりがいが出てくる」
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いちいち周りを気にすることがないために、我慢をすることがかなり激減します。じわじわとくる「ストレス」がなくなるということです。
ここだけの話ですが、今の時代は自分らしくしていた方がいいのです。なぜなら、芋づる式にひっぱられ「望まないところ」へ連れていかれるからです。
タイタニック号から「小型ボート」で出発するべきなのです。タイタニック号のゆく先が、どうも怪しいというのも「大きな理由」のひとつです。
小型ボートの方が「柔軟な動き」ができるし、その方が自由だからです。
あっちに行くのか、こっちに行くのかはすべて「自分」に委ねられるのです。決して「上司のあご」で決められるわけではないのです。
もちろん、操縦するのが自分なわけですから「やりがい」が自然とわき溢れてくるのは言うまでもないことでしょう。
少なくとも、あとどれくらいで仕事が終わるのかばかりを気にするという日々ではなくなるはずです。
実は、「嫌われる人の特徴3つ!あなたの心理も診断してみて?」でつづっているように、嫌われる勇気をもっていようがいまいが既に嫌われていたりします。
だから、嫌われる勇気を持つのか持たないのかで言うなら「持つ」という選択肢以外に考えられないわけです。では、具体的にどのようにすればいいのか説明していきます。
じゃあ、どうやって「嫌われる勇気」を持つ?
では、アドラーがどのような解決策をしめしているのかを簡単にご紹介していきたいと思います。
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- 「すべての悩みは人間関係」
- 「承認よりも共同体感覚」
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自分と他人は違う存在であるということを徹底的にときます。
「他人の問題」と「自分の問題」を分離する課題の分離といわれるものがそうでしょう。また、承認の欲求をみたすことを否定しているのもそうです。
はじめに他人ありきなら、比べたりしてしまい劣等感にさいなまれるわけです。だから、やめましょうということです。
なによりもまず先に、「自分が何をやりたいのか、どうありたいのか」がくるということです。
自分が何をやりたいのか、どうありたいのかがハッキリして実行していると、付属品として「他人の評価」がついてくるというだけの話です。
あなたが「神」でないかぎり、これは他人の問題なのです。他人が評価をくだすわけですから、自分ではどうしようもありません。
たとえば、「優れた芸術家」の作品は死んでから評価がぐっとあがるわけです。芸術家が生きている間は「自分の作品の価値」に対して自分ではどうしようもできないのと同じことなのです。
このように「自分の問題」と「他人の問題」を徹頭徹尾考えてみようということを説いているわけです。
そもそも、他人を変えてやろうとすることは「出すぎた発想」であることは言うまでもないですが。
あなたに何よりもまず必要なのは自分がどうありたいのかを考えること。決まれば勝手にいろいろなところから評価がくだされるだけです。
自分がどうありたいと決めることは「人間関係」を自分で決めるということでもあります。
「人間関係を断捨離してリセットを3分でしよう!」ではこのことについて詳しくつづっています。
その先には、ひとりひとりが立った「ゆるやかなつながり」があるのでしょう。お互いに自分のことを黙々とこなしていくプロセスで、「仲間意識」が芽生えるのではないかと思います。
たとえば、うまくいっている研究室のようなところにあるような関係のことです。割りあてられた研究はひとりひとり違うわけですが「ある種の一体感」があります。
このような関係を「共同体感覚」と呼んでいるのではないかと思います。