感受性が豊かで強い人の、他人がうらやむ美しい心理的特徴
普通の人とは違った感覚をもっているかもしれないと誰かに対して思ったことはないでしょうか?
ひょっとして自分がそうなのかもしれません。
感受性が強い人はよく
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- 「涙もろい」
- 「変化に敏感」
- 「傷つきやすい」
- 「映画で感情移入してしまう」
- 「人の幸せを自分のことのように思える」
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などと言われています。
これはこれでまったく間違ってはいないことなのですが、感受性が豊かな人のことの核心にせまっていないと思います。
結局それってどういうことなの?と疑問に思ったことがあるのではないでしょうか。
感受性が豊かというとこのように少しボヤっとしたイメージで、どのような特徴をかね備えた人なのかが分かりづらいです。
私たちとしては、「普通の人」と「感受性の豊かな人」のおおきな違いとはどこなのかなどの形式的な違いはどのような部分なのか気になるところです。
そこで、感受性が豊かな人の形式的な特徴と、具体的な特徴をつまびらかにしていきたいと思います。
他の人には感じとれない、「曖昧なもの」を感じてしまう
感受性の強い人は、普通の人には感じとれない「曖昧なもの」が感じとれてしまいます。
感受性の強い人にとっては、感じてしまうため対象は「すぐそこ」にあるのにもかかわらず、他人はその対象を感じ取ることができません。
圧倒的なマイノリティである「感受性の豊かな人」だけが感じとってしまうのです。
そのため、「心の深い曖昧なところ」を他人と共有することができません。
しかし、「心の深いところの部分」ですから、誰かと「共有」したいと強く思っています。
その反動でなのか、感受性の強いタイプには「芸術家タイプ」の人が多いです。
「芸術タイプ」の人だから「感受性が強い」のか、「感受性が強い」から「芸術タイプ」の人なのかは分かりません。
ただ、「芸術タイプであること」と「感受性が豊か」であることは深く関係しています。
また、ものごとの細かいところまで感じてしまう人が「感受性の豊か」な人ということもできるのです。
例えば、村上春樹さんのくり出す文章は、読者を「こっちだよ、こっち」と独自の世界にひき込んでくるパワーのようなものがあります。
そして、次のページをめくるのが楽しみになります。
それで、最後のページまでいつの間にかにたどり着いていたということになるわけです。
普段は感じているけど気づいていない部分、つまり「曖昧に感じている部分」がしっかりと言語化され、一定のリズムで表現されているからひき込まれるのだと思います。
そうなんだよー、と。笑
世界でも爆発的に売れていて読まれている、「生きる古典」だと思います。
「神は細部に宿る」といいますが、ものごとの細かいところまで表現できる人が優れた芸術家であり「感受性の豊かな人」なのです。
普通の人では表現できないところを「言葉」にのせられる人とも言うことができると思います。
ただ、相手の気持ちがどのような状態なのかを「心の深いところ」で感じるために、自分を見失ってしまうこともあります。
しっかりとした自分の世界観がないと感じているなら「自分を見失うカラクリと、自分を取り戻す3つの方法」を参考にしてみてください。
相手になりすぎてしまうというわけです。
下手をすると相手になりすぎるあまり、他の人から理解されず嫌われることもあるでしょう。
「嫌われる人の特徴3つ!あなたの心理も診断してみて?」では嫌われる人について詳しく綴っています。
私の友達で、感受性が豊かな人がいるのですがオシャレに感じます。「彼らしさ」がルックスの色遣いに表れていてオシャレです。
彼が壊れた自転車をDIYしていて、修理をした後の方がカッコいいじゃん!?スタイリッシュになってるやん!!!みたいな。
私はiPhoneをカバーをつけずに「裸」で使っています。なぜかというとAppleのデザイナーがこしたえたデザインが見えなくなってしまうからです。
私の中ではいわば、Appleのデザイナー VS カバーのデザイナーなのです。でも、この彼ならiPhoneを彼仕様のデザインに変えてもオシャレかもと思います。
私は言うまでもないですが、「デフォルト設定」です。笑
ポイント
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「言語の領域」を超えている、「非言語の領域」といってもいいかもしれません。
「非言語の領域」で感じているものを何かの「ツール」を使って取り出したものが「芸術」なのかもしれません。
音楽なら「楽器」で、絵画なら「画材」です。
村上春樹さんなら「ペン」でしょう。
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数字やオーラが「色」に見える!?
他の人では感じとれないものを感じ取ることができる「感受性の豊かな人」はどのように「曖昧なもの」を感知しているのでしょうか?
ここでは、その例をご紹介していきましょう。
例えば、「数字」が色に見えたりする人が存在するのをご存じでしょうか?
普通の人は「数字」に色などは感じないはずです。
数字といえど0から10までの10個の数字があり、桁があがるごとに指数関数的にバリエーションが増えていきます。
「感受性の豊かな人」は曖昧なものを、たくさんのバリエーションの色として感知できるのです。
また、数字だけではなく人の「オーラ」を色として感知できる人もいます。
日本に「スピリチュアルな人」がたくさんいるのも、このような能力をかね備えた人が多くいる証左なのではないでしょうか。
どのような人なのかを「オーラ」だけで感知ができるというと、ちょっと怪しいと思われるかもしれません。
しかし、たくさん人が集まるということは、それだけ当たっているとも言えるかもしれません。
「感受性の豊かな人」はものごとの細かいところまで感じとってしまいますから、相手になりすぎることは前述しました。
「相手の欲求=自分の欲求」と感じるようになり「自尊心」を下げてしまうことになってしまうことがあります。
自尊心を高める方法については「自尊心が低い人の原因と特徴、自尊心を高める3つの方法」を参考にしてみてください。
「曖昧な部分」を表現する日本語
日本には「声色」という言葉が昔からあります。
人の調子を声の色で表現している、「美しい言葉」だと思います。
この他にも、「曖昧な部分」を表現する言葉がたくさんあります。
例えば、
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- 「ごろごろする」
- 「ぺちゃくちゃしゃべる」
- 「うっとりする」
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などの挙げればきりがありません。
日本ではこのような「曖昧な部分」を表現しようとするバリエーションが豊富です。
私が日本語を大好きな理由のひとつであります。
この間、友人と話していたときも友人が「あの子はふわふわしているよね」みたいな言葉を使っていました。笑
他の言語ではこれにぴったり合う言葉が見当たりません。
また「雪」という例をとっても「雪花、粉雪、淡雪、玉雪」などおおよそ100種類のバリエーションがあります。
文化の基盤である「言葉」にこのような「曖昧な部分」を表現するバリエーションがしっかりと組み込まれているのは、ひょっとすると感受性が高い人が多いのかもしれません。
余談ですが、感受性の豊かな人は「気分のアップダウン」も激しくなります。
感じすぎるために、落ちたときで悩まれている人は意外とたくさんいます。
人間関係の整理については「人間関係を断捨離してリセットを3分でしよう!」で詳しくご紹介しています。
もし、何か抱え込んでいることがあるなら一歩ふみ出してカウンセラーなどに相談してみるのもいいとおもいます。
感受性にふりまわされるのではなく、コントロールできるようにしていきたいですね。