ありのままで素の自分の心理とはどのようなものなのでしょうか?
「ありのままの〜」という歌詞の曲が流行していたことがあります。
「ありのままの自分」というものにニーズがあるということを物語っています。
つまり、自分で自分を認められていないことに対して自分で「ある種の違和感」として感じているということです。
ありのままで素の自分になりたいなら、
[list style = “star”]
- 「なぜ自分でいられない?」
- 「誰かになろうとしてしまう」
- 「自分を自分で認めたい」
[/list]
などのことを感じるのではないでしょうか。
ありのままで素の自分でいられるなら、「自分の人生」を歩んでいると言えるでしょう。
しかし、ありのままで素の自分でないのであれば、「誰かの人生」をかぶらされているということです。
「ハリボテ」とはこのことなのではないでしょうか。
ありのままで素の自分でいられるのか、そうでないのかでは天と地ほどの差が生まれてくるのではないでしょうか。
そこで、今回はありのままで素の自分でいられない原因と、ありのままで素の自分でいられるにはどうすればよいのかをご紹介していきたいと思います。
ありのままで素の自分でない心理的原因
では、ありのままで素の自分でいられない心理的原因とはどのようなものでしょうか?
実は、とてもシンプルです。
何かに「おもねさせる習慣」があるということです。
簡単な話は、
[list style = “star”]
- 「〜しなければ」
- 「〜でならねば」
[/list]
だと思わされることがたくさんあるということです。
あなたの心に「鎖」をぐるぐる巻きにさせている主な要因です。
このように言うと、「当たり前すぎる」と思われるかもしれません。
例えば、学校や親などから「〜であるべき」などのことはイヤというほど聞かされているはずです。
思った以上に、「他人の言葉」に影響されてしまうのです。
実際に言われていなくても、「暗黙の了解」として成立しているのが実情ではないでしょうか。
まずは、「外側に基準」がもうけられており、そしてそれに自分を最適化していくのです。
常識という範疇に導く「強力なベクトル」が働いているのです。
だから、このようなことに慣れっこになり「強迫観念」のように行動してしまうのです。
「村八分」という文化があったように、外れるということにより強く恐怖があるのもひとつの原因でしょう。
「自分を見失う心理的要因と、自分を取り戻す3つの方法」で、詳しくご紹介していますので参考にしてみてください。
では、どのようにしてここから逃れられるのでしょうか?
ありのままで素の自分でいるための方法3つ
ありのままので素の自分でいるためには3つのことをオススメします。
[list style = “star”]
- 「基準を疑う」
- 「イヤなことはしない」
- 「ひとりの自分をつくる」
[/list]
それぞれ詳しく見ていくことにしましょう。
基準を疑う
基準で上位にいることを目指すと思います。
しかし、他人に認められたいあまりに何かにおもねて見栄が発動することになります。
自分を大きくみせようとしたり、自分をよく見せようとするあまり、「等身大の自分」からは離れていくことになるのです。
「ズレ」が生じてしまい、「ズレた」ままの状態を周りから期待されているということです。
芸能人で「本来の自分」と「メディアでの自分」のギャップに悩み、ストレスが大きくなってしまうことがあるというのは聞いたことがあるのではないでしょうか。
これは極端な例かもしれませんが、程度の差こそあれ、私たちにもこのようなことが関係しているということです。
このように、何が自分にとって「大切な基準」なのかを明確にすることが大切なのです。
だからこそ、「既存の基準」を疑う必要があるのです。
イヤなことはしない
イヤなことをしていないところに、ありのままで素の自分があります。
実は、これが一番やりすい方法かもしれません。
なぜなら、イヤなことは身体から「拒否反応」が出てストレスとして表出するからです。
やりたいことよりも、イヤなことの方がはるかに分かりやすいということです。
明らかにこれは違うなというのがハッキリと分かるのです。
まず、自分はこれをすると「拒否反応」が出てるなというのをまずは意識するというところから始まります。
イヤなことをしているとき自尊心が下がってしまいます。自尊心については「自尊心が低い人の原因と特徴、自尊心を高める3つの方法」を参考にしてみてください。
ひとりの時間をつくる
自分の考えを整えるときは「ひとりの時間」です。
世の中にはたくさんのノイズが響いています。
これらのノイズは、あまりに刺激的でたくさんの人の興味をそそるようにつくられています。(まあ、当たり前ですが。笑)
でも、ノイズをずっと浴びていたのではじっくりと考える時間がとれないのです。
だから、「ノイズ空間」から少しだけ出てくる時間をつくってみてください。
私の例でいえば、テレビを見ないようにしています。
ひとりの「暇な時間」というのは軽視されがちですが、思いのほか大切なときなのです。