冗談が通じない人がいます。それは悪いことなのでしょうか?
人と人のコミュニケーションがうまくすすめばいいということは、誰しも思っていることでしょう。
私も誰とでもうまくコミュニケーションがとれるようになるために、勉強や実践をくり返す日々を送っております。
「冗談」を使うことによって場を和ませようとする人もたくさんいます。
「冗談」を言って笑いをとり、相手の心を開かせようとするのです。
経験的に「冗談」を使うことにとって人と仲良くなったことがある、つまり成功してきたことがあるのでしょう。
しかし、「冗談」が通じない人もいます。
「冗談」を言って笑わせようとしたことは、相手と仲良くなるためにせっかくこちらから手をさし伸べたのに、「そっぽ」をむかれたと思うこともあるでしょう。
受け手としては「冗談」が通じなくて相手に不快な思いをさせてしまったと「罪悪感」を感じている人もいることでしょう。
また、そもそもそれって「冗談」だったの!?と「冗談」とすら認識していないこともあることでしょう。
「冗談」を使うことによって気まずい空気にもなりうるのです。
このように「冗談」はコミュニケーションにおいて諸刃の剣なのです。
そこで、今回はコミュニケーションにおける「冗談」について詳しくみていきましょう。
「冗談」を言う前にするべきこと
「冗談」はお互いがうち解けるためにあることは述べました。
ただ、誰に対しても「冗談」を使っていいわけではありません。
「冗談」を言っていい「条件」があるからです。
それは、自分と相手がもっている前提の知識が同じくらいであるということです。
例えば、大人の「冗談」が子どもに通じるかと言えば、そうではないことは誰しも知っているはずです。
これと同じことが、仲間のうちでも普通に起きてくるのです。
私たちは、自分の目の前にいる仲間は自分と同じ性質を持っているであろうという思い込みがあります。
古くからの言葉で「類は友を呼ぶ」という言葉があります。
「友」は「類」であってほしいという期待があるのです。
このような思い込みが「冗談」を言っても相手も分かってくれるだろうという思い込みに繋がってくるのです。
しかし、前提の知識は人それぞれなので「冗談を言ってもいいのかという見極め」がとても大切なのです。
この「見極め」を抜きにしたり、見誤ったりすると気まずい空気になるのです。
つまり、失敗するのです。
極端な例でいうと、アメリカ人に日本語で話しかけても「ちんぷんかんぷん」なのと同じことです。
最低でも、英語で話かけるべきなのです。
そして、英語で何を言うのかが最も大切なことなのです。
このように「冗談」を言う前の「見極め」はとても気を配らなければなりません。
メールなどの文面などでは「冗談」は、なかなか伝わらないと思っていいでしょう。
それゆえに、失敗をしてしまって悩んでいる人が多いということなのでしょう。
ましてや「冗談」が通じない人に対して、「相手に非があるのでは?」みたいなレッテル貼りをしているような人は「冗談」は控えるべきでしょう。
例えば、「冗談が通じないなんて、みんなからあまりよく思われないよ?」「病気なのでは?」みたいなことです。
「冗談」で人の反応を見るのは失礼だ
中には「冗談だよ?笑」みたいなことを言って、自分が相手の心にどこまでふみ込んでいくことができるのかを調べてくる人もいます。
値踏みをしてくるわけです。
ただ、そのようなことをされていい気分になることはないばかりか、イヤな気分にさせるだけです。
土足で人の家にあがり込むようなものです。
相手を試すようなことは、やはりしてはいけないのです。
いずれにせよ「冗談」は表面的なことです。
本当に仲良くなる人とは仲良くなりますし、仲良くならない人とは仲良くならないものだからです。
どこには足を踏み入れてはいけないのかは、「デリカシーがない人との100%正しい付き合い方」を参考にしてみてください。